1945年6月、この映画館でコンサートを開いた。
俺も上海をぶらぶらした頃、この映画館で
何度か映画を見た。
そのときは李香蘭がそこで歌唱会を開いたことは知っていた。
まだ放送はされていないが、このあと出てくるであろう
外灘、外白渡橋袂にある上海賓館、上海大厦。
李香蘭はそこに泊まったはずだ。
俺はそこには何度も食事に行ったが、その後
ついにそのホテルに泊まった。
テレビ画面では日本人収容所があったホンキュウが映る。
上海ブルースの歌詞にある、
♪スマロかホンキュウの街か
のホンキュウだが、漢字を忘れた。
日本人街だったホンキュウ、今ではそこには
魯迅博物館がある。
旧日本人街の建物も遺っていたので、
上海が大変化する前に俺はそのあたり、
四川路を何度も歩いた。
画面の山口淑子さんはロシア人リューバさんに
ついに出会っている。
リューバさんこそ、李香蘭が中国で刑務所に入っているとき、
日本人であるという証明書、戸籍を取ってくれた人だ。
もう5時になった。まだ終わらない。
歌は聞けないだろう。
この番組終了後は、
あと一本の珍しいDVDを探してから、
必ず見たいものがある。
「生きていた川島芳子」というDVD。
必ず見つけ出そう。
その番組にも山口淑子さんは出ていた。
生き延びて老いた川島芳子さんの写真か音声の確認を
山口淑子さんがする映像があった。
山口淑子さんは懐疑的ではあったが、半信半疑の様子が
映像から感じられた。
5時が過ぎた。