小学校の恩師

♪花をフォレスタが歌う

瞬間だった

小学校6年の時の恩師上原實先生を思い出した

先生がオルガンを弾きながら唱歌を教えている姿をだ

先生はスパルタ教育の人だった

5年6年の痰飲だった

クラスからラサール中学校に7人合格した

一クラスからラサールに7人、すごい先生だった

俺は落ちた

クラスで先生が一人づつ呼んで合格結果を教えた

その時の俺の様子を60年経ったいまでも覚えている

教卓の所に呼び出されて先生が「残念だった」と。

クラス全員の生徒が俺に注視して「どうだった」と訊いた。

俺は悲しそうに、恥かしそうに「落ちた」とこたえた。

あの時の俺の表情、忘れられない俺の最初の敗北感だった。

その後、先生が家庭訪問されて、「あと3点足らなかった」と。

俺は悔しがった。

しかし、俺の人生の最初の発展的展開は、落ちてから入学した中学校で育てられた。

同じラサールに落ちた友人とバレー部に入り、そこで活躍をして、それが俺の個性を育成してくれたと今は思う。

その中学校の最初の実力テストでクラス1番になった。生まれて初めてのことだった。

団塊の世代、同学年は700人以上いた、そこで6番。

俺が一生忘れない出来事の一つだった。

その小学校の級長はラサールに行った。

昨日は彼を検索した。

彼は菅総理の時国会にも呼ばれていた。名前を検索すれば出てくる人だが、

俺の友人たちでは官界で一番出世したひとだろう。

一曲の唄を聞きながらこんなことを思い出すのだ。

ここに書き込むか、書き込まないか迷っていることが一つある。

俺が高校を卒業する時の成績だ、クラスの誰も知らないだろう。

卒業式のころわかったからだが、担任と俺しか知らない。

書くか、やめるか、言いたいと言えばわかるだろう、

クラスメートたちよ。