その年、宮崎にいた。
日本語学校で留学生に日本語を教えていた。
4月入学、10月入学があった。
10月北京から来た学生が、自分の目で天安門事件を見た学生が、
天安門事件を語った。
当時24歳ぐらいの彼も56歳ぐらいになっているだろう。
留学生同士で結婚をした彼の結婚式に参加した。
北京工業大学を出た優秀な人だった。
2005年から中国で生活した。
歴史の教員と天安門事件について語った。
激しく反駁していた。
やがてその職場を辞めて行った。
俺が語ったことは、「南京事件で30万人殺害したということがわかるのか」
「天安門事件で何人亡くなったかもわからないのに」そんなやりとりだったが、
彼らの激しい怒った顔を覚えている。
天安門事件は中国では語れなかった。
そのずっと昔、台湾で語られなかった事件があった。
ニニ八事件だ。これも戦後ずっと語ることはできなかったが、
台湾で民進党が与党になった時に、この事件を追及する政府姿勢になった。
台湾の人がニニ八事件を密かに語る時の恐怖の顔が忘れられない。