野末陳平

1932年1月2日生

「高い目標をめざす人」角川誕生日事典

なぜか野末陳平さんのことを思った

自分の師匠について考えていた

高校3年の時、野末陳平さんの「姓名判断入門」という本を読んだ。

それがその時から55年経った今、自分に与えた影響について考えた。

遊び半分で買って読んだ本だったが、易学から老荘思想に導かれる入門書になった。野末陳平さんの師匠福井康順先生に学びたいと思った。福井康順先生には習わなかったが、子息の福井文雅、重雅先生には習った。福井康順先生の弟子の楠山春樹先生には荘子を習った。

落語、沖縄民謡、中国芸能と趣味人としての興味の源流になったのは老荘思想だったと思う。無為自然それが俺のバックボーンになった。

真面目な俺の導き手は吉田松陰研究の奈良岡辰也先生だったのでは、

俺の人生はまじめ半分おふざけ半分、好く学びよく遊べ。

学ぶときは吉田松陰、遊ぶときは野末陳平精神。

そんなことを沖縄民謡番組「民謡で今日拝なびら」を聞きながら思っている。鹿児島弁でいうてげてげな人生だったかもしれない。

高校時代に見た市川染五郎と女優名は度忘れ、の演じた「赤と黒」。

その作者スタンダールの墓碑銘に「生きた、恋した、書いた」という言葉があったが、それをめざしたこともあった。残念ながら、「書いた」はこの長春有情だけだが、これも書いたでいいのだろうと言い訳。さて今から150キロの車旅をする。8時10分発、今出ると太陽が眩しくて運転がやりにくいので。