自分に意味のあることだけを求めて生きて来た。
勉強もそうだった。
友人たちは先生に与えられる課題に一生懸命努めていた。
俺は授業を全く無視した。
高校時代の俺は私学志望だったので、英語・国語・日本史だけをまじめに取り組んだが、英語は授業は聴かず、自分で基礎英語から勉強していた。そして70年経った。教師をしていたが、ずっとマイペースだった。自分なりに意味のあることだけにとらわれ続けていた。
自分が正しかったと思った勉強で、いかに何も知らないかを今更気付いてきたのだ。
目標に向かって生きたといえば、そうだなあと思うが。
与えられた課題をひとつづつこなして生きて来た人たちが立派だったのではとの反省もしている。
定年後のスタイルは早くに決めていた。
そして今、求めていた定年後の生活には相当近づいてはいる。
予想外なことが一つだけはあるが、歩けなくなったということ。
お金は満足していないが、年金は全部使い切っている。
貯える余裕はない。生命保険満期でもらったお金で株式投資をしているが、宝くじと同じように夢だけで、だんだんその資金も減ってきている。金は求めてこなかったので自業自得だが、もう少しはあってよかったのでは、と少し後悔はしている。
大げさに言うと、旅と恋はたっぷり味わった。
それが俺の負け惜しみの言葉だ。
人生に無駄はない 俺は誰に言おうとしているのか?
本気でそう思っているのか。
たくさんの本とビデオテープを捨てた。
数百万円分はあっただろう。
俺の無駄は本ばかり買ったことだったのでは?
人生に無駄はないと書き込むつもりだったが、人生は無駄ばかりという気持ちになってきたようだ。