一日一番

相撲取りにインタビューすると彼らは

「一日一番」と答えている。

俺は子供のころから、目的を掲げて生きて来た。

高校時代友人たちは成績が何番になったと一喜一憂していた。

俺はそんな友人たちを無視していた。

子供の時からだった。

俺は何を習得する、どこの学校に行くと自分で決めて、

それに向って励んでいたので、彼らの競争には入っていなかった。

そんな俺を友人たちは笑っていたかもしれない。

英語が不得意だった。

高校時代学習研究社のマシンブックという英語の練習帳があった。

ひたすらそれを勉強していた。

「何をやっているのだと」友人たちが笑っていたことをはっきり覚えている。

日本史は一番になろうと思っていた。

吉川英治の本や歴史読本という雑誌を読んでいた。

NHK大河ドラマもそのころから歴史を学ぶ手段として見ていた。

70歳になっても目的意識で生きている。

北京オリンピックが2008年に決まった時、俺は2008年は北京に住むという目標があった。2008年、偶然にも中国長春で仕事をしていた。

今は最後の時間を迎えている。

70歳代というのはいつ終わるかもわからない時期だ。

その俺がひたすらに中国ドラマを見続けている。

CCTV中国放送の中国文芸も見続けているのだ。

さっき見た司馬遼太郎の「街道をゆく 越前諸道」に道元永平寺が出てきた。

禅宗の修行僧が只管打坐に励んでいる。

相撲取りの一日一番、この中に生きる真実があるような気になった。

何が目的、何を習得する、そんなことはかまわないで、

ひたすら俺が見たいと言う番組を見続ける。

それこそ禅の無の心ではないかと。