2008年の北京オリンピックの時は中国に住む。
それを目標に生きていた。
そしてその年中国で住んでいた。
2005年から4年間中国で生活をした。
自分にとっては奇跡の生活だった。
その4年間がなかったら、俺の今の満足感はなかっただろう。
サラーリマン生活の最後の4年間を中国で生活できたのだ。
大学を卒業した時、沖縄で生活したいと思った。
就職をやめて沖縄に飛び込んだ。
この判断がよかったかどうか?
とにかく正規のルートをはずれてしまった。
新卒のチャンスを逃した。
今朝はその沖縄の夢を見た。
当時沖縄でお世話になった人の家に俺はいた。
そこで選択を迫られていた。
申し訳ないけど、俺は選択せず、そこを離れることにした。
夢の中でだ。
沖縄から帰ってきて得たものは、教員免許を取ったことだった。
地元の大学の聴講生になり、教員免許を取得した。
しかしその教員免許が役にたつまでは長い時間がかかった。
サラリーマン生活を福岡でして、ボーナスで台湾遊学をした。
教員免許は社会科だったが、中国語で非常勤の教員として採用された。
沖縄に行ったときに、中国語で教師になるとは想像もしていなかった。
そして最後は中国で教師になり、日本語を教えることが最後の仕事だった。
小さな波乱万丈の生活を体験したかもしれない。
その始まりの時の夢が、今朝の沖縄の夢だったのだろうか。
さて冬季オリンピックの時、世界はどんなになっているのか?コロナは。
俺はこのままひざ痛が続けば、外国旅行は断念する。
頭でっかちの知識だけにたよる生活になるかもしれない。