今朝も朝5時からこの放送を聞いている。
ラジオ沖縄の民謡番組だ。
1971年、大学を卒業して沖縄に行った。
すでに大塚製薬に就職は決まっていた。
給料10万円、噂ではボーナス百万円と聞いていた。
それを辞退しての沖縄行きだった。
復帰前の沖縄、パスポートもいった。
就職のあては何もなかった。
4年間の学生時代東京では仕事はいつでもあった。
沖縄でも何かあるだろうと思いながらの、沖縄飛び込みだった。
友人のお母さんが沖縄の新聞社の社長夫人を紹介してくださった。
そんなことで、その社長さんにお会いした。
大学の大先輩の社長さんだった。
新聞社とラジオ局の入社試験を受けさせてくださった。
その時私が思ったことは、定期的な入社試験ではなかったのでは?
私のために入社試験を設定してくださったのでは、とその時思った。
4月に入社試験はないだろうと。
しかし落ちた。
私は落ちても、試験を受けさせて下さったことが嬉しかった。
その後、別の新聞社に臨時社員で採用された。
そして沖縄生活が始まった。
今になれば、短かったけれど、復帰前の沖縄を見るための、沖縄生活を味わわせてもらった天の采配だったのだろうと思う。
その後、60歳まであちことで仕事をした。
しかし、最後には中国の高校教師で定年退職を迎えた。
人生の妙味といえば、沖縄で生活をしたいと思った22歳の青年が沖縄を知り、
その後の生活の中で、中国で生活したいと言う夢が、まさかの56歳からの4年間旧満州で教員をして定年退職の運命を迎えたとは。
その満足感を持っての定年後の余暇生活だった。
そして今、74歳になった。毎日、自分の課題と取り組んでいる生活だが、最近生きるという最後の終着点を82歳に定めようとしている自分がいることがわかった。
トヨタプリウスをキントウという新車リースで購入しようとしている。
7年間リースができる。返却するのが7年後、82歳のころだ。その時を目指そうとする目標はできた。
但し、車が手に入るのは年末以後になりそうだ。
それに倣って、赤いプリウスを求める予定だ。
明日は何が起こるかわからない人生だが、そんな目標の生きるエネルギーになるかもしれない。