沖縄三昧

沖縄に行かなくても、

沖縄になった。

スマホにラディコを取り入れただけで、

生活が変わった。

朝5時に、沖縄の朝の民謡番組【暁でーびる】を聞く、

6時50分まで続く。

1970年正月4日に東京晴海を旅立って、那覇に到着したのは6日の夜だったのでは。

船中で知り合った大学生の盛忠君が糸満の実家に宿泊させてくれた。

彼の家で迎えた、朝の沖縄。

そこに民謡が流れて来た。

何とも言えない沖縄情緒を味わった時間だった。

その後沖縄での生活をはじめ、ラジオで聞く民謡番組が楽しみだった。

沖縄生活に挫折して、鹿児島に帰って来たが、レコードで沖縄三昧の生活をしばらくはしていた。その後、台湾に関心を持ち、やがて日中国交回復を機会に、関心が中国に向き、その後50年間中国語に関心の生活に代わった。定年は中国の高校教師で終わった。

2009年定年、鹿児島に帰って来て、水泳をする生活を習慣化した。中国のテレビ番組は20年以上見続けていた。それが、3,4年前にYOUTUBEで沖縄のラジオ番組に出あい、この2年間は毎日沖縄のラジオ番組をYOUTUBEで見る生活が定着化した。

そして2月7日、秀純君の誕生日だった。この日にスマホにラジコを設置した。

今日で3日目だ。沖縄に振り回されている生活になりそうだ。しかし、沖縄番組は休憩癒しの気持ちで味わえる。中国番組は勉強のつもりで見るので緊張のしっぱなし。

中国で緊張して沖縄と落語で癒す。そう思えば、どうにかうまく生活できるだろう。

沖縄弁も少し理解できるようになった。使いこなしたい言葉は鹿児島弁と熊本弁。

そして北京語。北京語を話すことは難しいが、聞きこなすことができたときに俺の言葉学習は完成と言ってもいいだろう。

沖縄の友人たちと会ったときに、沖縄民謡を歌い、台湾の友人と会った時に、中国語で語る。昔の友人たちにスゴイといわれることが、夢と言えば夢だ。