三つ子の魂百まで

昭和23年11月に生れた

昭和27年7月に鹿児島にやってきた

4歳にはなっていなかった

しかしその鹿児島にきたときに、

新しい友達と言葉を交わしたときに

言葉が分からないと思ったことは

覚えている

それが鹿児島弁への洗礼だったのだが、

今熊本のラジオを聴き始めている

肥後の民話を熊本弁で聞いているが

意味だけではなく熊本弁が全部わかるのだ

俺は「三つ子の魂百まで」だろうか?

夏休みにはずっと熊本の祖父母の家、八代に行っていたからだろうか

などと考えている

祖父母の家では幼なじみと熊本弁をしゃべっていた

祖父母や叔父たちとも熊本弁、

父母も熊本弁だったからだろうか

などと考えている

しかし今、熊本の人と熊本弁で話すのは恥ずかしい

鹿児島弁はもちろんしゃべるのだが、友人たちの鹿児島弁が俺より

うまい事はよくわかっている。

沖縄弁は10%ぐらいしかわかっていないだろうが、

ラジオを聴きながら三分の一はわかるような気がする

北京語は10%聞き取れない、

3%ぐらいだ

それでも中国ドラマは見続けている

たまに香港映画をYOUTUBEで見る

その中国語字幕は半分以上分かる

中国ドラマの中国語字幕は言葉が複雑すぎて

ほんの少ししか理解できない

辞書は引かない

熊本弁ぐらい北京語がわかれば、北京語習得と言ってもいいのだが