台北放浪中に北海道の人と出会った
どんな風に出逢ったかの記憶はない
どこで出逢ったかの記憶もない
ただ彼も台北師範大学に留学しようとしていた
私もそうだった。
出会いは忘れたが彼と友達になった。
彼は俺とは日本でだったら全然出会うタイプではないと言っていた。
俺もそうだった。俺の友達とは違うタイプだった。
しかしお互いに台北生活は寂しかったのだろう。
ホテル暮らしをしていた俺は資金が減って行くことが心配になったのだろう
彼のマンションに部屋賃を半額支払うことで同居した。
彼は俺のいびきがうるさいとときどき文句を言っていた。
しかし俺はそこに日本帰国まで居ついた。
その時彼が♪神田川をギターで弾き語りしていた。
法政大学出身だった。旭川の人で、台湾人の彼女がいた。
数人で彼の彼女の田舎に旅したことがあった。客家の人で、珍しい旅になった。
今でも忘れない懐かしい旅でもあった。その人の消息が昨日インターネットでヒットしたのだ。その人のその後の日本での生活。千葉の八街に居ることはネットで探り当てていた電話番号もわかっていた。その電話にその後℡をしたら使われていませんの電話局の音声が出てきていた。ひょっとしたら亡くなったのではないかと想像していた。
そして昨日のネットでヒットしたのは彼のその後の生活を書いていた彼の友人の記事だった。彼が三越をやめて、食堂をした。難病をしたとの記事に、やはり病気をということまでわかった。住所は年賀状で知っていたので、八街に行けばわかるだろうと今の気持ちだ。八街には妹が一時住んでいた。妹に聞けば、何らかの八街情報はわかるだろう・