1971年から台湾旅を始めた
1972年秋には田中首相が中国訪問をして中国との国交が成立した
その時も台湾を旅した 飛行機の乗客は皆無だった
泊ったホテルで盗難に遭い 交番所に行った
その時の巡査の態度の悪かったこと
忘れられない嫌な思い出だが
田中角栄の中国訪問後は
台湾人も皆田中角栄を嫌っていた
田中を語る中国語の発音てぃんちょん
恨みを込めて語っていた台湾の人たちを思い出す
俺は街で知り合った男に連れられてバーに行った
そして連れて行った男にお金を持ち逃げされた
バーに行くと言うので、俺はおごってもらうのは悪いと想い
自分から金をその男に預けたのだった
しかしそんな時にドラマチックな出会いもあった。
台北駅でその人に出逢った。切符の買い方がわからないと
つたない中国語でその人に伝えると「自分の母親は日本語がわかる」といってお母さんを呼んできてくれた。お母さんも同じ汽車に乗り息子と台中に帰るところだった。
汽車の中で駅弁をごちそうになり、日本語で語り合った。その後俺は高雄に中学校時代の同級生を訪ねて、また台北に帰った。その時駅で知り合った女性に電話をして、俺の新台湾が始まったのだった。当時の台湾では民衆は国民党政府を恐れていた。その恐れていた光景はしっかり記憶にある。映画館では国歌を唄う時代だった。
映画館では中国は一つだと強調されていた。
だから今中国共産党が中国は一つというのは国民党と同じ考えなのだ。
台湾独立の考えは共産党が嫌いという以前に、日本が敗戦して台湾を占領した国民党政府に対する嫌悪感から始まっているのだ。
台湾人は日本人に好意的。このことももちろん人によって違う。
当時私の初期の台湾旅で感じたことは、台湾人は日本人に好意的だが、蒋介石と逃げて来た中国人は日本人を毛嫌いしていると思って旅をしていた。
今CCTVの「海峡両岸」を見ている。中国の台湾情報の番組だが、この番組にも台湾の大学教授が中国的な発言をして出演している。
台湾危機を煽るのは一体誰だろうか。危機があれば軍需物資は売れまくるだろう。