11月になっても

平日の朝はこの番組で始まる

「安盛の暁デービル」ラジオ沖縄5時

何度もここに書き込むが、

昭和46年俺はこの会社の入社試験を受けたのだ。

俺はジャーナリストになる目的はなかったのでその方面の勉強はしたこともなかった。

たまたま友人の母親の紹介で琉球新報社長さんと知り合いになり、この社長さんが兼ねている沖縄ラジオの試験も受けさせて下さったのだ。社長さんは大学の大先輩でもあった。沖縄ジャーナリズムのトップの人だったのだ。今思えば俺の試験での作文は幼稚だっただろうと思う。ただ沖縄と日本の架け橋になりたいという文句しか書けなかったと今は思っている。

大学を卒業をした年だったが、俺は入社試験は1社しか受けた経験はなかった。大塚製薬を受験し合格していたのだったが、どたキャンして、沖縄に飛んできたのだった。

俺の浅はかさを思い知った最初の行動でもあった。それがおれの振出しだったが、最終的には中国満州の高校で副校長をして帰国したので、俺の人生には意味があっただろうと今では思っている。