1970年1月 初めて沖縄に旅をした。鹿児島からブルートレインはやぶさで帰省をしていたのだが、沖縄経由で鹿児島に帰ってみようと突然思い立ったのだった。
雪の降る東京晴海ふ頭から那覇行きの東京丸に乗った。その船の中で沖縄糸満の大学生としりあったことが、運命だった。今まで続く沖縄文化への関心の始まりだったのだ。
1971年6月 沖縄に居た俺が沖縄から一度離れてみようと思いついた。自分は沖縄で何をしているのだろうかとの疑問がわいたのだった。那覇泊港から3泊4日の台湾基隆港への船旅だった、船賃の20ドルは当時安いと思った。その旅で中国語への関心が湧いた。
1978年鹿児島に居た。突然香港旅を思いついたのだった。69800円の香港ツアーがとても安いと思ったのだった。その前の年まで鹿児島の薬品卸会社で仕事をしていたが、年末に退職したばかりだった。そしての香港旅。まさかその旅から帰って来てから中国語の教師になるなどとは想像もしていなかったが、その旅の年の3月突然鹿児島商業高校の中国語講師に決まった。奇跡だった。
その後その高校と私立学校の中国語講師を数ねん勤めていた。
1981年、1983年 中国留学を思い立った。そして中国北京の超一流大学中国人民大学に短期留学をした。
その後講師をしていた私立高校の教師に採用されて。ついに教師になるという目的を果たした。