向田邦子が不慮の事故になったことを
上海空港で知った
中国での短期留学を終え
上海空港で帰国便を待っているときに
テレビでだったのか放送されたのか
誰かが向田邦子が亡くなったことを知って
帰国便を待っていた留学生たちは驚いた
その前日は上海で過ごした
私はその上海で最後の一夜を過ごした
短期留学の結晶といえる最後の一夜だった
一瞬好きになった日本人女子大生に恋の告白をしたのだった
彼女と上海をタクシーで走りまわった
上海芝居、外灘、しかし今、それ以上の記憶はない
タクシーに乗り上海を廻ったということ以外には
しかしその日上海空港から帰国便は出発しなかった
その日、また上海で宿泊することになった
そしてその日こそ俺の本当の最後の一夜になった
向田邦子命日で思いだすのは、いつもそのこと
向田邦子という作家もその後知った
そこには何度も通った
定年後だった
遅かった。若い頃初めて向田邦子の名前を語る女性がいた。
友人の恋人で琴の先生だったが、その時は向田邦子何者と知らなかった。
向田邦子は私の小学校の先輩であるし、向田邦子鹿児島居住宅跡は、
私の幼稚園のすぐ裏だった。その幼稚園では幼恋のあけみちゃんがいて、高校で一目ぼれした敏子さんも通っていたが、敏子さんと初めてしゃべったのはその高校でだった。
その後65歳になってからその敏子さんに再会して、彼女の写真を渡した。
連想連想、8月22日今日はどんな日になるのだろうか?