向田邦子命日

向田邦子が不慮の事故になったことを

上海空港で知った

中国での短期留学を終え

上海空港で帰国便を待っているときに

テレビでだったのか放送されたのか

誰かが向田邦子が亡くなったことを知って

帰国便を待っていた留学生たちは驚いた

その前日は上海で過ごした

私はその上海で最後の一夜を過ごした

短期留学の結晶といえる最後の一夜だった

一瞬好きになった日本人女子大生に恋の告白をしたのだった

彼女と上海をタクシーで走りまわった

上海芝居、外灘、しかし今、それ以上の記憶はない

タクシーに乗り上海を廻ったということ以外には

しかしその日上海空港から帰国便は出発しなかった

その日、また上海で宿泊することになった

そしてその日こそ俺の本当の最後の一夜になった

向田邦子命日で思いだすのは、いつもそのこと

向田邦子という作家もその後知った

鹿児島の近代文学館には向田邦子の記念室がある

そこには何度も通った

向田邦子の作品を読んだり、YOUTUBEの朗読で聞いたのは

定年後だった

遅かった。若い頃初めて向田邦子の名前を語る女性がいた。

友人の恋人で琴の先生だったが、その時は向田邦子何者と知らなかった。

向田邦子は私の小学校の先輩であるし、向田邦子鹿児島居住宅跡は、

私の幼稚園のすぐ裏だった。その幼稚園では幼恋のあけみちゃんがいて、高校で一目ぼれした敏子さんも通っていたが、敏子さんと初めてしゃべったのはその高校でだった。

その後65歳になってからその敏子さんに再会して、彼女の写真を渡した。

連想連想、8月22日今日はどんな日になるのだろうか?