第7回 子規、逝く
1904年5月27日~28日
日本海海戦の日だ。
第6回では、広瀬武夫のロシア女性との
恋が描かれていた。
第7回は正岡子規の死。
上根岸子規庵で息を引き取る子規。
参列者が子規庵の花を摘んで、遺体に供える。
1902年9月19日 子規の命日。
その2年後には、ロシア娘に惚れられていた
広瀬武夫も死ぬ。
戦死する。
夫婦で農業をしている様子が画面に
映る。
この夫婦は明治45年に明治天皇に
殉死する。
乃木静子夫人生誕地?は、
すぐそばだった。
高麗橋か武之橋かどちらか。
海軍兵学校の出身。
毎日プールに通っている。
高校時代の先生の夫人とは、
いろいろな話を語っている。
小沢昭一のことを話したときに、
そんなことをも思い出しながら、
2009年放送のこの番組を見た。
江田島健児?のうた、は俺も高校時代に
よく歌ったなあ。
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