亡き友人を送る会

12月に亡くなった高校時代の友人を送る会に参加した。

高校3年の時、彼と同じクラスの友人博昭君が中心になって実施した。

彼の個人事務所で5時から7時過ぎ迄あった。

4時過ぎに行くと、博昭君と市さんが準備をしていた。

俺には市さんがこの会を開くことを教えてくれた。

11人ぐらいの参加者に亡き友人の息子さん二人が参加した。

葬式は家族だけでやっていたので、彼を送る会で初めて彼の遺影に拝んだ。

その会に参加して、改めて亡き友人の交友関係を知った。

大学時代アルバイトなどでよく会っていた市さんが亡き彼と深い関係があったことも

初めて知った。

むかし聞いていたかもしれないが、今回詳しく知った。

彼は隣のクラスだった。

俺たちは柔道部での仲間だった。

何かひとこと話せと博昭君が言っていたので、

彼について俺は語った。

彼と柔道部で会ったとき、彼の父親が鹿児島の有名企業の社長であったことを知ったことを語った。友人たちも一言二言語った。

その一言二言が、彼の姿を浮かび上がらせてくれた。

言い忘れたことがあった。

亡き彼に高校時代進学希望大学を聞いた時の印象だった。

彼は他の人とは違う大学受験を語った。

「えっ、なぜ」とその時思ったが、彼のお父さんがその大学をすすめたのだろうかとそのころは思っていた。

その当時、その新設大学はユニークな発想の教育方針だったことは俺も知っていた。

その後、彼はその大学を卒業して鹿児島の有名デパートに勤務した。

そしてそのデパートで重役になり退職した。

奥さんは30年以上前に亡くなったと息子さんが語った。

奥さんを亡くしてから彼に会ったことがあった。

彼はひたすら仕事に責任を負うていることはわかっていた。

昨夜は息子さんが「母が亡くなってから、父は一人で自分たちを育ててくれた」と父親のことを語った。

彼の息子さん達を見て、彼の生き方が俺なりに理解できた。

息子さんは「父はいい人生だったと満足して終わった」とも話された。

彼が【貫いた】という人生だったんだなと思いながら聞いていた。

俺は「市さんと彼には武士の雰囲気がある」とも付け加えた。

そして帰宅してから思ったことは色の白い市さんと色の黒かった亡き彼のコンビのコントラストだった。

秀純君に博昭君が「何か一言」というと、秀純君「向かい側のネオンに彼の名前が照らされていることが気になった」とこたえた。

会場の向かい側に有名牛肉ステーキ屋のそのネオンが赤く輝いていた。

そんな出会いをしながらの彼を送る会だった。

秀純君にクラウンで駐車場まで送ってもらい帰宅した。