1971年沖縄の俺

あの時、俺を知っている人たちで、

俺を覚えている人は何人ぐらいいるのだろうか。

会社のコンパが楽しかった。

しかし俺の歌は軍歌ばかり、歌いながら寂しかった。

会社の人たちの歌う沖縄民謡、今になってみれば、

最高の生歌だった。

山里勇吉さんの弟子の武松当吉さんが三味線を弾きながら歌う八重山民謡。

負け惜しみで言えば、そこに居って体験しただけでもよかったのだろう。

YOUTUBEで生放送を見ながらの沖縄体験。

贅沢だ贅沢だ、もちろん金に換えられることではない。

前川守賢さんの生歌演奏の時は、俺はここで踊ってみよう。

友人たちヨ、俺の踊っている姿を連想してください。

友人の市さんと語った、俺が歩いている姿を鹿児島中央駅近くで見たと。

俺は言った「見られる姿ではなかっただろう。よぼよぼだっただろう」と、

そして付け加えて言ったことは「風呂で着替える時、自分の裸を見ると、18歳の俺の肉体がある、若々しい俺がいる」と。俺の髪の毛はふさふさ、大学時代と同じ慎太郎刈、蛇足だったかもしれないが。