なぜ沖縄へ・・・

1970年1月初めて沖縄を旅した。

朝から中国ドラマを見た。

「花散る宮廷の女たち」、康熙帝の時代の物語だ。

康熙帝の娘がウルグンに嫁ぐ場面で、ふと自分の運命を考えた。

人生の転機というのは毎日のようにあると言えばあるものだが、

なぜあの時沖縄へは、大きな転機になったような気がした。

鹿児島に帰るのに沖縄経由という方法を選んだのだ。

1969年年末失恋をした。

その失恋の癒しが沖縄への旅になった。

東京は寒かった、暖かい沖縄へ目が向いたのだろう。

パスポートの要る沖縄旅だった。

正月が住んでのすぐの船旅、東京丸という船に晴海ふ頭から出発した。

沖縄について何の知識もなかった。旅館を探す方法さえも知らないままの船旅だった。たまたま船中で雑談した人が、「お前の家に泊めてやれ」と同行していた甥っ子に言われた。彼が「はい」と簡単に答えて、俺の宿泊先が決まった。那覇に着いてすぐ叔父さんの姉さんの家に立ち寄った。そこで家族と初めての沖縄経験をして、甥っ子の家、糸満まで行き彼の家に泊まることになった。それが今日まで続いている俺の沖縄関心にはなっている。

そして翌年俺は沖縄居住を決めた。大企業への就職も決まっていたのを捨てての沖縄行きになった。その年には、沖縄から台湾に旅立った。

その旅が俺の中国開眼の旅になったことは当時は気付かなかった。

今、俺の中国文化学習の生活、そのきっかけとなったのが台湾旅だった。

沖縄が・・今の俺を・・・台湾が、それとも失恋が沖縄へ。

人生の妙を考えさせられた、今朝の中国ドラマ鑑賞だった。

中国語タイトルは「花落宮廷錯流年」2017年のドラマだ。

昨日は朝乃山6場所出場停止のニュースを知った。

人間万事塞翁が馬、何がいいやら、悪いやら。わからないのだ朝乃山席。