1972年はその年だった
俺はその前年に沖縄女性史を卒業論文で書いて、
大学を卒業した。
そして沖縄で一生を過ごそうと決意して、
沖縄生活を始めた。
その年、沖縄での生活に疑問を持った。
いちど沖縄から離れてみようとして、
旅だったのが台湾だった。
台湾は基隆港に上陸した。
雑然としていた当時の台湾。
ここにもう一度来ようと思った。
そして沖縄から鹿児島に引き上げた。
中国語講習会が鹿児島でも始まった
すぐ習いに行った。
まさかその6年後に中国語を教えることになろうとは。
その動機をずっとここに書き込めば、
一編のドラマになるのだが。
1971年、1972年、俺の分岐点だったかもしれない。