1780年~1844年4月13日
樺太が島だということを発見した間宮林蔵がロシアに行ったことを初めて知った。
そして思い出したのが、大学時代卒論指導教官の洞富雄先生だった。
卒業論文に「琉歌に表れた沖縄女性の生活と心」を書いたが、その指導を受けるとき、
先生は沖縄歴史の専門家なのだろうかと疑問を持ったが、インターネットのない時代、
あまり深く考えたことはなかった。その後中国へ関心を持った俺は、先生が南京事件の研究の第1人者ということを知った。
洞富雄 1906年11月14日~2000年3月15日
「クールな調査人」角川誕生日事典
南京事件を研究された洞富雄先生の運勢に「クールな調査人」に驚いている。
亡き祖母は1906年10月生まれだった。洞先生は祖母と同級生。なんともいえない不思議な縁を感じている。卒業論文指導教官とは、大学時代一番話をした先生だったということ。