突然外国が攻めてきて

都市は焼け野原

女性子どもは国外へ

男たちは、外国に出ることを禁止され

兵隊に

俺のいちばんの疑問は、

気付かなかったのだろうか?

予知や兆しを感じなかったのだろうか?

国民は、政治家は?

台湾に中国が突然侵攻してくるのではないか?と。

日本人ではそういうことがニュースにもなっている。

台湾では、どんなニュースに。

不安感があるのだろうか?

1971年から台湾を旅してきた。

その頃でも中国との戦争が危惧されていた。

台湾の人たちは、子供たちをそれぞれ外国に住まわせると言っていた。

知り合いの家族もアメリカへ、日本へ、と子供たちは居を定めている。

太平洋戦争のことを思い出す。

あの時、日本人は国土が焼け野原になることを想像していただろうか?

沖縄ではどうだっただろうか?当時の沖縄では本土への疎開があった。

疎開船がアメリカの魚雷に打たれて子供たちが大勢亡くなった対馬丸事件は、

今でも語り継がれている。九州に沖縄の子供たちが疎開していたこともあった。

戦争体験者も少なくなった。俺はプールに行っているので、戦争体験者とはいつでも会っている。

今日からしばらく訊いてみたいと思っている。

空襲があると思ったかを。

ウクライナの人々の本当の声が聞こえてくるのは、今からだろう。

俺は今、明治維新会津の人たちの抵抗について考えようとしている。

戦前、日本人に街を踏みにじられていた満州の人たちのこと。

朝鮮や台湾の人たちの当時の気持ちを、もう一度勉強しようと思う。