沖縄 本土復帰から50年

ザ・ライフ「街角ドキュメンタリー 老舗ハンバーガーショップで」

夜中にテレビを見ることはない。

夜中にDVDの整理をした。

そして起きてテレビ。

夜中もベッドで目は覚めているのだが、

YOUTUBEを聞いているだけ。

明るくなってからテレビ生活。

そして選んだのがこの番組になった。

本土復帰前から続いているハンバーガーショップ

本土復帰前が気に入った。

俺も本土復帰前に沖縄に飛び込んだのだ。

まさか復帰の年に早々と鹿児島に帰るとは思ってもいなかった。

一生沖縄で生活をする想いで沖縄に飛び込んだのだったが。

なぜ鹿児島に帰ったか。

今になって思えば、教員免許を取りたくなったからだった。

そしてそれは正解だった。

吉田松陰にあこがれていたが、大学時代教員になるための履修科目取得は断念した。

教員にならないという生き方をしようと思って、背水の陣?を敷いたのだった。

しかし沖縄で学校の図書館を回る仕事をして。

気が付いたのだ。教師になりたかったということを。

沖縄復帰、1972年。50年の人生は波乱万丈でもあった。

しかし50年間の人生で、変わらなかった興味は今まで続いた。

落語に目覚め、沖縄に関心を持ち、中国を知るという最終の生き方を選択する。

今日も中国の漫才をベッドで聞いていて、DVDの整理をしたくなり、起き上がったら、

テレビまで見ることになった。

そして沖縄を見て、もう一度寝ようと思っている。