志ん朝に会った

朝、5時半だ。

興奮覚めやらない。

志ん朝と会って語ったのだ。

驚きだった。半信半疑だった。

えびのの文化センターで古今亭志ん朝の落語会があったのだ。

隣の部屋では柳家小三治の落語会だった。

志ん朝の落語会は満席。

隣の小三治の会は空席もあった。

噺の終わったあとに小休止、終わったのかと思ったら、休憩だった。

志ん朝のブレザーを持って、志ん朝師匠がトイレから帰ってくるのを待った。

帰って来た志ん朝師匠にブレザーを渡したら、少し濡れていた。

隣のおばさんが落として濡らしたのだが、俺はそれを言うべきか考えていた。

休憩の後の噺が始まるとき、ほとんどの客は終わった思い帰っていた。

空席が増えた。

志ん朝師匠の前に座った。噺の前に

志ん朝師匠と語った。「日お会いできてうれしい。お父上の志ん生師匠は病院に見舞いに行ったことがある」と志ん朝師匠に語りながら、俺は感極まって涙を出していた。

「しかし志ん朝師匠、私には意味がわかりません。志ん朝師匠は亡くなったはずです。

なぜここにいらっしゃるのですか」と。志ん朝師匠が何か答えたyぷだったが、その時

目が覚めた。夢だったと気づいた。

YOUTUBE志ん朝の語る「鬼平犯科帳 本所・サクラ屋敷・決闘」が流れていた。

夢ではなかった。志ん朝師匠にあったのだ。

昭和44年頃、新宿末広亭で何度も聞いた見たことがあった志ん朝師匠。

夢の中で志ん朝師匠も若い時の顔ではなかった。別人だろうかとも思った。

老けた志ん朝師匠がいた。ケーシー高峰のようだったと目が覚めてから思った。

小三治さんやケーシー高峰さんも、黄泉の世界からやってこられたのか。

4月10日日曜日、今日は義弟の3回忌で食事に行くことになっている。