お茶を飲みながら、演芸の鑑賞。
北京前門街にある。
演芸の好きだった老舎の名前がついた老舎茶館。
北京で生活をしてそこに通うという夢はついえた。
初めて北京に行った時は、天橋や大柵欄にも寄席がたくさんあった。
その頃はお茶つきで100円ぐらいだったが、最近では5000円ぐらいはする、
寄席より豪華な感じで茶とお菓子が出る。
5000円ではしょっちゅうは通えない。
2005年から長春に4年間生活した。中国東北地方の二人転という漫才の劇場で、
そこには毎日のように通った。300円ぐらいだった。
そしてコロナ禍の今、自宅にこもっている。
自宅では65インチのテレビが我が家の舞台だ。
中国の漫才、コント、歌謡ショーが見られる。京劇もドラマも観れる。
今日は中国ドラマを5時間ぐらい見た。
北京や上海、台北、長春を旅して寄席に行ったようなものではある。
足らないのは時間だけ、今日もドラマ鑑賞の時間が欲しくて、プールを休んだ。
沖縄のラジオの民謡番組も2時間見た。頭の切り替えはうまい具合にやっている。
外が明るいうちはテレビを見ているが、9時には音声だけの生活に切り替わる。
最近では落語名人寄席になった。桂文楽、志ん生、圓生も聞いている。
睡眠不足でもあるから、プールを休む日が多くなった。
欽ちゃんが駒澤大学に通った目的は「語彙が少なかったから」ネットで見た。
沖縄、中国、落語浸りになっても、我が語彙は貧困。
それでも見続けて聞き続ける。
問題意識だけはとても強い。
戦前の歌謡曲、軍歌、寮歌、民謡すべてを聞き尽くしたい。
台湾も中国も、沖縄も。
時間が足らないということは、
わかるでしょう。