安盛の暁でーびる 5時

2月27日、今朝もこの放送から始まった。

早くに目が覚めて、吉川英治の「三国志」朗読を聞いていた。

毎朝5時からスタートする生活はしていたのだが、

2月8日からは5時にこの放送を聞くことから初めている。

5時のオープニングから聞こうとしているので、

間に合うようにしている緊張感もある。

沖縄民謡の生活。

本当に50年ぶりだ。

なぜ今、沖縄民謡。

初心に戻ったのかもしれない。

大学を卒業したのが、1971年3月だった。

卒業してから52年になるのだ。

卒業論文に「琉歌にあらわれた沖縄女性の生活とこころ」というのを書いた。

そしての沖縄移住だった。

大塚製薬にすでに職は決まっていた。

それをやめての沖縄での生活。

沖縄に来た当初は仕事がなくて、公開もした。

オロナミンの看板を沖縄で見て、大塚製薬に勤めてから、

転勤という方法もあったのでは、とその時は思ったこともあった。

しかし、沖縄に行ったから、台湾へ行く機会もあり、

台湾から中国へと道なき道を歩んだ。

沖縄から帰ってからは、教師になる道を求めたのだが、

その教師になれたのは、中国語をしていたからであった。

中国語教師として高校教師になる糸口ができた。

すごろくでいうと、振出が沖縄。

上りが中国長春での教師、そして定年だった。

中国の高校教師を定年で退職するとき、中国語で挨拶をした。

それから14年経つが、俺の中国語挨拶が、中国人同僚にどう思われたか、

一度は聞いてみたいと思う。

最後の行先は当たり前だが、死ぬことだ。

沖縄や中国が俺にどんな色を添えるのか。

今日も沖縄の放送と中国のテレビ番組を鑑賞の1日にもなる。