出逢った人たちを

毛細血管のように思いだそうとしている。今朝はおさななじみのお母さんを思い出した。30年代そのおばさんは肉体労働者だった道路現場でしごとをしていた。家には子供がたくさんいた。お父さんは肺病で家にいた。そのおばさんがときどき三味線で活躍していたがそれがとても不思議だった。道路現場で仕事をしている姿と三味線を弾く姿、今思いだせば命懸けでいきておられたのだ。その息子の友人が集団就職で旅立つときに鹿児島の西鹿児島駅まで見送りに行ったことを思い出している。

そのずっと後になって彼がつとめていたホテルで当時の近所の人たちを集めて高見馬場同窓会をしたことは懐かしい思い出になっている。わが母も参加した。楽しかったと言っていた。

脳梗塞になってから、これだけの文章打込みも大変なんだが、リハビリと思って打込んでいいる。