1975年2月14日

私は台湾中部の彰化駅にいた。

その年の春節を台湾の友人の家で送り、

台北に帰ろうとしていた。

友人と弟が駅に見送りに来た。

そして帰ったが、すぐ引きかえしてきた。

なぜ引き返してきたのか、もう忘れたが。

別れの予感がしたのではとその時思ったような気がする。

最高に楽しかった友人宅での春節だった。

私は何かを決断する気持ちでその日旅立とうとしていたのだった。

2月14日はバレンタインディ、俺には親父の命日でしかなかったが、

その日を決断の日と決めていた。

その友人への未練をすべて断とうとしていた。

そして台北に帰った。その後、3月末に日本に帰国するまで、その友人とは会わなかった。その人から電話があったのだが、俺は逢わないと決めていたのだった。

それから11年後、

俺の結婚式が鹿児島の新聞の一面に報道された。

同じ2月14日だった。しかし気付いたのは、今日だ。

今までは同じ日だったことは考えたこともなかった。

今思えば不思議な気がする。

台湾でのことは2月14日を意識しての行動だったが、結婚式の記事はその日を俺が知っていたわけではなかった。

不思議の好きな俺が突然その不思議を思いついたが、くしくも明日12月4日は台湾の友人の72歳の誕生日になる。