すごい夢だった。
おもしろい流れの夢だったが、
目が覚めたらすっかい忘れてしまった。
覚えているのが、
無謀な挑戦をしようとしている自分がいたいたということだけ。
正一君がいた。
彼の家に行こうとしていた。
なかなか教えてくれなかったが、やっと連れて行った。
立派な武家門があった。
家では塾をやっているようだった。
勉強をする児童たちがいた。
夢の中で、一人の女性が書道展に出品することになっていた。
その人が辞退した。
その決定権があるのが正一君だった。
彼は俺を推薦した。
俺は”逃げ”専門の男だが、「よし」と言って引き受けた。
書道展なんて大嫌いだが、集中して練習すればどうにかなるだろうと、
自分を奮わせて挑戦しようとしていた。
夢の中では憂鬱ではあった。なぜ俺が出るのかと。
俺は得意なことも少しはある。
不得意なことの極が、字を書くということなのだ。
一言でいえば、字が上手だったら、俺の人生は180度別人生だった。
下手であったためにこれだけだったと確信している。
上手ならラブレターも書いただろう。
ラブレターを書きたいと思ったことが、どれだけあったか。
友人たちは俺が年賀状のあて名を書くときに、どんなに悩んでいるか、
知らないだろう。
俺は穴があったらはいりたい思いで年賀状のあて名を書いている。
ワープロができた時は人生がかわった。
文章を書くようになった。積極的に文章を作った。
ワープロは毀れた、今はない。
パソコンでは印刷機能をいまだ使っていない。
だから手書きなのだ。
その俺が夢の中で書道に挑戦。あえて言えば逃げなかったことだけが、
自分をさげすまないでよかった。
あえて秘密を書くと、
吉永小百合さんに恋文?を書いたこともあるのだ。
昭和42年、53年前だ。
俺はその手紙を小百合ちゃんの目前まで持って行った。
2m離れていた小百合ちゃんにその手紙を渡せなかった。
渡すのができなかったのではなかった。
俺の文字文を渡すことができなかった。
もし渡していれば、唯一の機会だった。
迎えの自家用車に乗って帰って行った小百合ちゃんの
あの日の様子を、いや俺の様子を思い出している。
ビッグカメラの優待券が1万円ある。
今年は宛名を書くパソコン?を購入予定だ。