首里に初めて行ったのは、1970年1月だった。
その旅では糸満が主だった。
東京丸で知り合った糸満の青年盛忠君の家にホームステイをした。
たぶん彼の家族が連れて行ってくれたのであろう、首里守礼の門に行った。
沖縄と言えば、守礼の門と♪安里屋ユンタしかしらなかった。
その後、何度か沖縄の旅をして、那覇で生活をすることになった。
寂しかった。
そんな時は守礼の門に。
琉球大学では学生食堂にも何回か行った。
首里高校では女子高校生が素朴な感じがした。
ひめゆり学徒隊の後輩たちだ。
素朴な感じというより、強烈に高校教師をしたいと決断をする遠因だったかも。
永久に沖縄に住もうとしての沖縄移住の決心だったが、心変わりした。
それが首里高校訪問のせいだったかもしれない。
未収得の教員免許を取ろうと思ったのだろう。
すぐ鹿児島に帰った。
そして大学で聴講手続きをして、学生生活を始めた。
そこまではもう一歩時間があったことを思い出した。
一時勤めをした。セールスマンを。
「首里城火災から1年~沖縄から響け エールソング」を見ている。