沖縄が俺の中で甦っている。
明け方「民謡で今日拝なびら」の古い放送を聞いている。
2018年8月6日、2017年10月5日の放送。
なぜ甦ったのか。
8月13日からこの番組を大型テレビで見るようになった。
それがきっかけだったかもしれない。
沖縄がぐっと近づいて来た。
そしてその番組に投稿するようになったのが9月2日からだった。
沖縄を再訪した夢まで見た。
沖縄情報に熱心だったのは、卒業論文に沖縄女性史を書こうと思った時だっただろう。
1970年万博の年。その年に興味を持ち始めた沖縄を卒業論文にしようと決めた。
卒業論文に何を書くか数年考えていた。老荘思想を考えていたので、古典落語に与えた老荘思想の影響、などや松尾芭蕉と老荘思想などを考えていたような気がする。
そして最終的には「琉歌にあらわれた沖縄女性の生活と心」よくそんなことを考え付いたものだ。1971年4月、大学を出た俺は決まっていた就職を蹴って沖縄へ。
沖縄での就職活動は楽ではなかった。ジャーナリストになろうとしていた。
しかしそれは俺の本心ではなかった。付け焼刃的発想。
当時の琉球新報社長が新聞社テレビ局2度のチャンスを与えてくださったが落ちた。
今思えば、沖縄に行く情熱はあったが、何をするかという情熱は足らなかった。
別の新聞社の臨時社員になって、小中高校を廻った。
そして、今思えば沖縄からの帰鹿を決断するきっかけになったのは、
ひめゆり学徒隊で有名になった首里高校に行った時だったかもしれない。
ひめゆり学徒隊の後輩の首里高校女子高校生を見た時だったのでは、と今は思っている。高校教師になろうと思った。高校教師になるという自分の最初の想いに目覚めた。
鹿児島に帰って教員免許を取ろうとおもったような気がする。
大学時代に教育課程を最初は受講しようと思っていたのだが、教師になるという考え方を断念しようと思って、受講しなかった。
そして沖縄から一度離れて見ようと思っての台湾への船旅だった。
まさかその後、中国語教師としてスタートすることになるとはその時は想像もしていなかった。
ただその時、70歳を過ぎてから中国のテレビや沖縄のラジオ放送を聞いて生活するとは、思ってもいなかっただろう。
9月11日の朝、こんなことを思いながら、今日をスタートしようとしている。