春子お母さん

今日は96歳で亡くなった春子お母さんの命日だ

わずか数カ月の沖縄生活だった

一生を沖縄で過ごすと言う覚悟で大学卒業後、沖縄に飛び込んだ。

挫折は早かった。新聞社の臨時社員になった。

将来はここに勤めなさいと、上司には言われた。

それもいいとは思ったがジャーナリストになるという強い情熱はなかった。高校時代から吉田松陰に憧れて前向きに生きて来た。

その吉田松陰熱が沖縄で再炎したのかもしれない。

沖縄在住時代に台湾に船旅をした。

ここはもう一度来たいと思って沖縄に帰った。

沖縄熱を少し冷静にした旅立ったかもしれない。

当時の記憶をはっきり覚えているわけではないが、急いで鹿児島に帰ったのは、教員免許を取ろうと思ったからだろう、だから急いだ。

そのわずかな沖縄生活、友人のお母さん春子アンマーのやさしさが思い出される。

いつも沖縄民謡を口ずさんでいた。

♪二見情話という歌だ。

俺に聞かせようとして、訴えるようにして歌っていたのかもしれない。

たまたま数年前にインターネットでそのお母さんの死亡広告を見た。

そして2015年10月14日に亡くなられたことを知った。

今朝がその10月14日、先日沖縄のラジオ放送で上原直彦さんが噂供養という話をされた。今日の命日、感謝とお詫びをこめて、ありがとうございました。