上海に襄陽公園があった。
台北にも襄陽路があった。
どちらも行ったことがあったが、どこかは記憶になかった。
検索をした。
台北の新公園の近くだった。
戦前からあった新公園は俺の台北での憩いの場所だった。
よくその公園を彷徨った。駅や泊まっていたホテルの近くだった。
日本風の面影もあった。
その公園に面した道路が襄陽路、そのときも襄陽についての知識はなかった。
上海のホテルの近くに襄陽公園があった。これも襄陽という言葉は気になったが、どこにあるのかは知らなかった。
その後、俺は襄陽に行くことになった。定年になってからの中国旅は襄陽に行くたびになった。初めて襄陽に行ったとき、諸葛孔明を劉備が3回訪ねて行って参謀として迎えた草蘆のある町と知った。三国志を勉強してから襄陽が三国志の重要な場所だということも知った。襄陽はよく歩いた。合計では数十日滞在した。
「曹操と諸葛孔明」を見終わって、その町のことをここに書き込みたくなった。
無知は人生を棒に振る。それに気付いたときは70歳を過ぎていた。そして歩けなくもなっていた。しかし、俺はまだ食えている。食うだけでもしばらくは追求しよう。
食えなくなるのもそう遠くではない。