必然なのか偶然なのか

もちろんわからないが、

ときどきまじめに考える。

予言の不思議を。

若いころから相談したおばあちゃんがいた。

神様神様と呼んでいた人だった。

相談料は決まっておらず。

私は当時のラーメン代と同じぐらい500円払っていた。

私が訊いたことは「将来教師になるのか」だった。

「なる」という回答、数年間それを聞き続けていた。

「どこでなるのか」まで聞いた。

方角まで教えてくださった。

その方角の校長は私が高校で生物を習った先生だった。

私はその先生に会いにも行った。

そして数年後、私は教師になった。

その学校はやがて、私にお告げをしたおばあちゃんの行った場所に引っ越した。

そこで勤務し、私はそこに家を作った。

おばあちゃんが、いつも言っていた言葉は「年金が見えている」だった。

アルバイト人生だった私に「年金が」はいつも言っていた。

私は今、年金だけで生活している。おばあちゃんが行った言葉の意味を、今しみじみと考えているのだ。

おばあちゃんの葬式には行きたいとそのころ体力がなくなったおばあちゃんを見て、考えていたが、偶然見た新聞でおばあちゃんの葬儀おしらせを見た。葬式に間に合った。

小さな長屋に住んでいたおばあちゃんだったが、家の前にはたくさんの花輪が飾ってあった。鹿児島の有名な国会議員たちの花輪、県議、市議の花輪だった。

やっぱりとそのときは思った。冝保愛子さんのような人で、沖永良部のノロといわれたひとだった。

知床の観光船事故で亡くなった人たちの運命を思ったときに、そんなことが思い出された。