【連続テレビ小説】ちむどんどんを見ている。
主人公の比嘉暢子ちゃんが、養子として東京に旅立つ場面だ。
シーミーの映像が映った。沖縄の墓参り、清明節の様子だ。
その様子に、私が体験した1971年4月の清明節を思い出した。
沖縄の墓参り、一族郎党が集まっての墓の前での食事会でもあった。
沖縄に行ったばかりの俺には夢もあったのだろう。
そのシーミーの集いは忘れ難い思い出として残っている。
やがて沖縄に挫折した。早かった。
今思えば、早かった理由は大学に行こうと思ったからだっただろう。
教員免許を取得したくなったのだ。
そして沖縄を去った。部屋も借りていたのだったが。
那覇港には俺を歓迎してくれた家族が見送ってくれた。
テープでの別れだった。それが永久の別れになるとはその時は思わなかっただろうが、
俺の興味は教員になるという目標に向かった。
そんなことを「ちむどんどん」で思った。
画面は1971年に変わった。俺が沖縄で生活しようとした年だ。
そこからは録画しているが、まだ見ていない。
「人間万事塞翁が馬」何が何やら、いいのか悪いのか。
その後の人生は・・・・
そして今の俺がいる。
「ちむどんどん」に若かった自分を見て、「民謡で今日拝なびら」に、
まさかの沖縄への思いが続いている、自分の情熱にも、不思議不思議。