10月10日

昭和39年1964年のこの日、東京オリンピックが開催された。

高校1年生だった。担任はI俊一先生、副担任がB哲夫先生だった。

今も同期会で逢う友人たちの多くはこの年出逢った友人たち。

彼らと1964年を語ったことがあった。コロナの始まった年の1月に

その1年4組の同期会を博昭君の手配で実現できた。その2月に中国武漢でコロナ発生・

その同期会以後、数年同窓会同期会はひらかれなくなった。鹿児島加治屋町の高校だった。鹿児島加治屋町とは明治維新薩摩藩士が輩出している。

思い出すと地理と生物は二人の先生だった。地理はY先生とO先生。O先生が黒板に鉄腕アトムの絵をかいて地理を教えられる教授法に友人たちも驚いていた。生物はS先生とK先生だった。K先生は旧制第7高校の話をよくされていた。国語は副担任のB先生と怖かったS先生。体育はM先生。隣のクラスがトップクラスで、そのクラスにいたマドンナに俺は一目ぼれ、憧れの片思いの恋が始まっていた。しかしその50年後、その女性と偶然逢って、その女性に彼女がミス鹿児島の時に写された写真をプレゼントするという出来事もあった。思う出せばきりがないが。東京オリンピックからの自由な想像だ。