沖縄戦 平和の礎(いしじ)

礎に刻まれた沖縄戦

~”名もなき犠牲者たちは何を語るのか~

クローズアップ現代』2015年6月18日放送

MC 国谷裕子

糸満にある平和の礎に子供を連れて行った。

20年ぐらいまえだっただろうか?

ひめゆりの塔にも行った。

娘達は沖縄で何を見たのか。

俺は1970年、初めて沖縄の旅をして。

1971年沖縄に住んだ。

貧乏所帯の住まい群だった。

たたみはなかった。

茣蓙をしいた。

住まう時にまず茣蓙を買いに行ったことを思い出した。

1971年、戦後26年も経っていたと当時は思っていたが、

それから50年経った今になると、戦後すぐだったと言っても・・

30歳以上の人たちは沖縄戦を経験していた。

沖縄戦の話はあちこちで聞けた。

近所にハニー小と呼ばれているおばさんがいた。

ハニー小とは本人には言わない、陰口のことばだった。

そのおばさんはアメリカのベトナム戦争に行く兵隊の

現地妻だった。

母と同じぐらいのおばさんだった。

近所のおばあが、そのおばさんの所に、何度か

俺を連れて行った。

おばさんが日本人の俺に向って、激しい口調で、

日本兵が何をしたか語られた。

今でも忘れられないのは屍体に強姦する兵隊がいたと話されたこと、

兵隊が女の着物を着て防空壕に逃げたという話などをされた。

日本軍は怖かったがアメリカ兵は食べ物も与えてくれる神様のようだったと。

自分がアメリカ兵のハニー小をしていることを正当化して話したかったのだろうか

と思って聞いていた。

そんなことも思い出しながら、この番組を見た。

今になれば、1971年、沖縄復帰前年に沖縄で生活したことは、

奇跡と言ってもいいと思っている。

そのおばさんも生きていれば93歳になっているはずだ。

戦争で肉親は全部死んだと言っていた。

そのおばさんの顔は覚えている。

そこに連れて行ってくれたおばあも顔を覚えている。

49年前のことだが。