玉の海正洋

北の富士親方に「新横綱に狙ったときはどんな気持ちで臨んだのか」と訊かれると

玉の海さんがいたからだろう」と北の富士親方。

ライバルについて考えた。

子供の頃、当時ライバルと思いながら生活していたわけではなかったが、

今思えば幼稚園からの友人義徳君だったと思った。

母が言っていたのは「義徳君の家がテレビを買えばうちも買ってやる」だった。

そして彼の家でテレビを買った。慎一君の電気屋のゼネラルテレビだった。

その年がいつかはっきりは覚えていないが、12月31日頃だった。

その日に母は近所の東芝支店で東芝テレビを買ってくれた。

小学1,2年生の時は同じクラスになったがその後は同じクラスになることはなかった。

4年生の時彼はスターになった。

その時の嫉妬心を今でも強烈に覚えている。

顔と心が違う自分に気付いていたのだ。

城山登山マラソンで彼は全学年で1番になった。

そんなことを思い出しながら、大相撲初場所を見た。

結びの一番貴景勝に勝った御嶽海の心境をも考えながら見ていた。

友人たちに一言書き添えると、

高校時代俺がライバル視していたのは克信君だった。

誰も知らないだろうが!

小学3年生からの友人で、中学校時代は共にバレー部員として鹿児島市大会で2年連続優勝をした。ついでに言うと、ライバルではなく彼には負けると思っていたのは進君だった。小学校1年生からの友人だ。彼も共にバレー部員として一緒に頑張った友人だ。