未だ木鶏たりえず

双葉山定次

1912年2月9日 ~1968年12月16日

「活発なエネルギー」角川誕生日事典

武田鉄矢の今朝の三枚おろし 双葉山邪宗門

双葉山、少年時代時津風理事長が有名な双葉山だったことを知っていた。

当時の大相撲テレビ放送を見る俺の眼は、栃錦若乃花の対決だけでなかった。

天皇賜杯を優勝力士に渡す時津風理事長を見ていた。

この理事長をしっかり眼に焼き付けていた。

その双葉山が引退して作った部屋が時津風部屋だ。

今場所優勝候補の一人、正代が所属している部屋だ。

双葉山の連勝記録を阻んだのは、安芸ノ海だった。

彼は出羽の海部屋、今の御嶽海の部屋だ。

その出羽の海部屋では連勝の続く双葉山を攻略する作戦を立てていた。

その作戦部長が笠置山だった。

ここに笠置山の名前を書き込んでいたかった理由は、大学時代体育で相撲を洗濯した。

その時の体育の先生が深見先生だったがその先生の師匠の師匠が笠置山の後輩だった。

相撲の指導者深見先生から笠置山の話をよく聞いていた。

ちなみに、体育の講義を受けたのは織田幹雄ベルリンオリンピック三段跳びの金メダリストだった。この先生も、授業中先生の語りしぐさを凝視して見たことなども思い出す。一時期柔道部に入った。その指導者が大澤慶巳十段だった。

そんな縁を感じながら、武田鉄矢さんの語りを聞いた。

さて正代は優勝するのだろうか。

優勝すれば双葉山のことがまたニュースになるかもしれない。