鹿児島を聖火が走った日

4月27日 旧暦 3月16日

民謡で今日拝なびら MC前川守賢さんとよなは徹さん。

照屋林助さんの♪年中行事口説が一曲目。

65インチテレビは消した。

今朝は5時半出発、7時プール、10時眼科。

慌ただしい日だった。くたびれているが、この番組を見てから寝る。

オリンピック聖火リーレー姶良を走ったのは同級生の茂君だったのでは?

電話番号が分れば確認の電話をしたのだが。

今日も心は那覇那覇のラジオスタジオから、世界を眺める。

二曲目は糸数カメさんで♪夫婦船、糸数カメさんは沖縄のr料亭に居た人?

50年前、小沢昭一さんの放浪芸のレコードで彼女の歌をよく聞いた。

書いているところに博昭君から電話があったので、彼にも確認した。

聖火リーレーで走ったのはバレー部の茂君だったのではと。

彼は姶良だったら彼かもと言っていた。

3曲目♪わらべうたメドレー 4曲目は♪月ぬ美しゃ。

今日は十六夜の月だそうだ。

♪月ぬかいしゃ 十日三日

みやらびかいしゃ 十七つ

月が美しいのは十三夜 娘が美しいのは十七歳

5曲目♪学生節 6曲目生歌 今日の二人の歌手が歌うが、まだここまではいっていない

♪けーひっとぅり節汀間当

今朝は病院に行くのに甲南高校で下車、二中通りを歩いたら甲南中があった。

秀輝君の母校だ。プールを終えての帰りのバスは城南小、松原小、博昭君や隆明君の母校だ。そして俺の母校甲東中、山下小を通って帰宅した。

今日のこの番組はMCは男、女性がいないので、生歌も少し盛り上がらない。

鹿児島も夕方から雨が降ってきたので、十六夜の月は出てないようだ。

この番組を見続けている。俺が沖縄民謡に夢中だったのは、1970年万博の年、

翌年71年は卒業の年、卒業論文が「沖縄女性史 琉歌にあらわれた沖縄女性の心」

そんなようなタイトルだった。1971年だから50年前、その年の4月27日は那覇にいた。

博昭君と電話で彼が港付近を散歩した話をした。波の上宮の祭りがいつだったか覚えていないが、全琉相撲大会に俺は飛び入りで参加した。

沖縄県警の機動隊の隊員として負けたが、見ていた沖縄の友人は「強いね、強かった」と言っていた。