俺が1920年代に生れていたらとふとおもった。
テレビ画面にロシアチームのコスチュームやセラムーンのコスチュームで踊る姿が映った。
満州の高校に行って満州で生活をしていたのでは、とコスチュームを着ているロシア人や東欧の女性の姿に思った。
1970年、万国博覧会で俺は外国に目覚めた。あの頃、俺には学生時代にやろうとしている夢があった。一つはシベリア鉄道でヨーロッパに行くこと。それと船上大学でアメリカに行くこと。
英語に一生懸命になっていた時もあった。それが沖縄と出会ったために、
俺は台湾から香港シンガポール、最後は中国大陸に夢の形はかわったが、それでもよかったのだろう。昨日も中国ドラマと中国芸能を数時間見て、沖縄のラジオをYOUTUBEで聞いた。
もしも戦前哈爾濱に行っていたら白系ロシア人に恋をしていたかも・・・・
新体操のロシア娘達の演技を見ながらの妄想でした。