夜中3時頃になって、「戦前戦後の流行歌あの歌この歌」をYOUTUBEで聞いた。
♪上海の花売り娘 岡晴夫の歌を聞いて、ちょうど今頃ではなかったかと思った。
そして起き上がった。パソコンに向かった。
あの日を思い出したのだ。上海の最期の一夜を。
日にちは大体覚えている。帰国を待っている上海空港で、向田邦子の台湾での航空機事故を知った。それを検索すると1981年8月22日だった。つまり明日8月22日に上海空港にいたのだ。その前夜、つまり8月21日の夜、留学生仲間で戦前上海第一のホテル和平飯店のバーで最後のパーティをした。
楽しい夜だったが、別れと思えばとても切なかった。
一流バーでの10人の飲み代は俺が全部支払った。金を持っている時代ではなかったが、小さな見栄をはったのだろう。
そしての翌日の上海空港だった。
しかし、理由はわからなかったが、数時間待たされて、飛行機は出なかった。
もうホテルの予約はしてなかったので、学校の手配で別々のホテルに帰った。
俺はどういう心境だったのだろうか、告白の1日を手に入れたと思った。
告白したい人とは別のホテルだったが、俺はその人の宿舎に行った。
そして最後の一夜をそのホテルの階段で過ごした。
その女性と。上海滙海街、旧フランス租界の古いホテルだったが名前は今、思い出せない。階段に夜更けまでいたので、従業員が何度も夜回りで来た。
当時監視カメラがあれば全部見られていただろうが、まさか監視カメラはなかったと思う。俺は朝方になって、一部屋交代していた学生の部屋で寝た。
そして翌日そこから空港へ、彼女たちはそのバスを見送ってくれた。
帰国しての10月のある日、鹿児島高見馬場にあったサウナの休憩室でぼんやりしていたら、「上海バンスキング」の舞台がテレビであった。吉田日出子が主演の舞台劇。
俺には上海で最後の一夜を過ごした自分の心境を描いているようにも見えた。
何曲か舞台の中で歌が歌われた。♪ウェルカム上海という曲に魅せられた。
やがて4時になる。もう1時間以上このYOUTUBEを聞いている。
ディックミネの♪上海ブルースも流れて来た。
あの日の俺の心はこの♪上海ブルースと♪ウェルカム上海
ちょうど40年になる、その人はその時21歳だったのでは、すると今は・・・
まぼろしのような人生、戦前戦後の流行歌はまだ流れている。