球磨川っ子

俺が生まれた時に最初に

出逢ったのが球磨川だった。

幼児の時に球磨川に行ったことを覚えている。

球磨川という言葉が耳によく入った。

球磨川の旅、母なる川といってもいいような気がする。

4歳の時に鹿児島に来た。

甲突川を見た時、これが川なのと思ったような覚えがある。

親父は熊本人、球磨川っ子だっただろう。

母も八代人だが母の両親は福岡人筑後川の人たちだった。

俺のDNAは九州を駆けまわっていたのだろう。

球磨川、血が騒ぐ。

東京の4年間は神田川沿いだった。

その後、中国だけは何度も旅をした。

黄河揚子江が母なる川とは思わなかったが。

三国志の旅を続けているうちに、黄河揚子江になじんだが、

やはり母なる河とは思えなかった。

母なる川はやはり球磨川

宮崎美子さんとともに、球磨川紀行を愉しんでいる。