脳梗塞で痺れているのではない。
9月1日午前4時40分。
またチャイナメロディーだ。
「南京の踊り子」という歌にしびれている。
昨夜からでも、何度も聞いている。
南京を思い出すわけではないだろうに、
戦前の中国日本人街はときどき思い出す。
南京、ナンキン、81年に初めて旅をした。
知人に会ってくれと頼まれていたので、会った。
今思えば、よく電話が通じたものだと。
その人がまず連れて行ってくれたところは中山陵だった。
孫文の陵墓公園だ。
その日は休園だった。
南京は中国の三大ストーブと言われる街。
暑かった、鹿児島や沖縄の暑さではない。
サウナに入っているような暑さだった。
その中山陵の前にはテントを張った店がたくさんあった。
その人がビールを両手に二碗抱えて持ってきた。
ビールはコップにつぐのではない中国のビール。
丼で飲むのだ。
その丼ビールを二碗持ってきて、俺が飲み終わると、
また二碗。
40年前のその光景、その二碗を持ってくる姿が浮かんでくる。
中国が貧乏なころだ。
今の中国とは大違い。
給料が1万円ないころだった。
その人もその時は30歳前だっただろう。
今は70歳ぐらいになっているだろう。
そんなことも思い出す「南京の踊り子」の唄。
そこへかかって来た歌は「南京便り」、俺がよく歌った軍歌だ。
やがて5時になる。
♪春が来ましたお母さん シナの柳は・・・