あれは昭和34年だったのか?
♪古城を聞きながら思い出した。
幼なじみの義坊が♪古城を歌っていた。
義坊は早くに亡くなった。
たまたま義坊の娘さんが俺の学校の生徒だった。
彼女から俺に「義坊の娘です」と話しかけてきた。
そして義坊と電話で話すことができたが、そのしばらく後に彼が亡くなった。
両親は満州引揚、当時俺は満州引揚のいみさえはっきりわからなかった。
彼の誕生日に呼ばれると餃子や朝鮮漬けを食べさせてもらったが、我が家には餃子とかニンニクという食習慣はなかった。俺はニンニクにあまり親しむことはできなかった。
俺はニンニクを本気で朱肉と思っていたのだ。
印鑑の朱肉を食べるのかと訝し気にしていた。
その時、義坊のご両親たちのことをあらためて思い出したこともあった。