思い出不足

夏休みの宿題から見えた、

コロナ禍の特別な夏休み。

テレビ画面に。

コロナ禍の生活では思い出不足になるのか?

コロナがなかったら、思い出が豊富にあったのか?

朝の番組でも夏休みの宿題が取り上げられていた。

志らくさんの番組だった。

車を運転しながら聞いていた。

宿題が嫌だったと思いながら、

夏休みの宿題がなかったら、どんなに小中学の生活が

楽しかったかと。

思い出したくもない夏休みの宿題。

地図を作る宿題があり、

9月1日の朝まで、母と徹夜で作ったことなどを思い出した。

思い出不足といえば、そんなことまで思い出にはなる。

さてコロナ禍のこの数カ月、俺はいつも通りの生活だった。

歩いて、泳いで、食べて、観て。

観る量はすごかった。

中国ドラマを毎日8時間として、一ヵ月240時間。

6か月で1200時間以上。

娘と一緒に見た。

俺が娘達に残そうとしているものは、

「落語を聞け」「中国ドラマを見れ」の二つだ。

ほかに何も伝えるものはない。

鹿児島の姉は俺と見た。

東京の妹は新宿末廣亭に行ったという。

俺の遺言の目的に近づいてきた。

テレビ画面には「中国習主席”食べ残し禁止令”」